鵜沼城跡・木曽川河畔遊歩道
木曽川河畔遊歩道(右岸・各務原市側)は、木曽川の対岸から国宝犬山城を眺められるビュースポットです。また、犬山橋のたもとには、鵜沼城跡とされている天然の岩山を臨むことが出来ます(私有地のため立ち入りはできません)。木曽川と城の景色を楽しみつつ、織田方、斎藤方が攻防を繰り広げた地を散策してはいかがでしょうか。




信長による美濃攻めの足掛かりとなった攻防の地。
秀吉・秀長兄弟が調略した逸話の鵜沼城跡も。

永禄四年(1561)、織田信長は美濃斎藤家の義龍(道三の子)の急死をきっかけに美濃攻めを本格化させます。斎藤軍が手ごわく攻めあぐねたものの、信長は居城を小牧山城に移し、永禄八年(1565)、織田信長は美濃の斎藤方であった織田信清の犬山城を攻略しました。
そして木曽川を越えて、東美濃へ侵攻していきます。まず、伊木山に砦を築いて周辺の城に圧力をかけたところ、大沢次郎左衛門の居城であった鵜沼城が降伏。続いて多治見氏の居城であった猿啄城が丹羽長秀の活躍により落城しました。「太閤記」等の後世の資料には、秀吉が鵜沼城の大沢氏を調略したことが記されるなど秀吉の出世エピソードとして語られ、中には人質となった秀吉を秀長の機転で救出したと語っているものもあります。

story
木曽川河畔遊歩道(右岸・各務原市側)は、木曽川の対岸から国宝犬山城を眺められるビュースポットです。また、犬山橋のたもとには、鵜沼城跡とされている天然の岩山を臨むことが出来ます(私有地のため立ち入りはできません)。木曽川と城の景色を楽しみつつ、織田方、斎藤方が攻防を繰り広げた地を散策してはいかがでしょうか。
信長は斎藤方の鵜沼城・猿啄城を攻めるため、まず伊木山城を攻略し、その足掛かりとしました。今でも伊木山の山頂(伊木山城跡)や東側の展望台(キューピーの鼻展望台)からは、木曽川、犬山城、小牧山城、鵜沼城など、木曽川を巡る濃尾国境の合戦の地を一望することが出来ます。
永禄8年(1565年)、織田信長の美濃攻めにより攻略され、河尻秀隆が城主となりました。
その折に、織田信長によって地名を猿啄(さるばみ)から勝山に改められたといわれています。山頂までは徒歩30~40分ほどで、攻め入る織田軍の気分で、自然の中の散策が楽しめます。なお、猿啄城跡のある坂祝町は、秀吉の家臣である仙石秀久の出生地とも言われていますが、諸説あります。
spot